当時は分からなかった、あの遠回りの理由

2026年8月6日 1 分で読めます

先日、導入した頃のやり取りをふと読み返す機会がありました。当時の自分がどれだけ細かく指示を出し、いちいち確認を挟んでいたか。読みながら少し恥ずかしくなると同時に、当時は気づいていなかったことに、今になって気づかされました。

非効率だと思っていた確認作業

導入したばかりの頃、私は一つひとつの作業に対して細かく確認を求めていました。当時の私はそれを、慣れていないから仕方なくやっていることだと捉えていました。早く慣れて、もっと効率的にやれるようになりたい。そんな焦りに近い気持ちがあったのを覚えています。

けれど今読み返すと、あの確認のやり取りには意味がありました。何を任せられて、何を任せられないのか。どこまで具体的に伝えれば意図が伝わるのか。それを自分の中で見極めるための時間だったのだと、今なら分かります。当時は遠回りに感じていたその過程が、実はいちばんの近道だったのかもしれません。効率化を急いでいたら、きっと見落としていた部分だったと思います。

失敗だと思っていたことが、土台になっていた

もう一つ、読み返して気づいたことがあります。何度か、任せた範囲が広すぎて修正に手間取ったことがありました。当時はそれを単純な失敗として処理していて、次は気をつけようと反省するだけで終わらせていました。

ですが今振り返ると、あの失敗があったからこそ、どのくらいの粒度で任せるのが自分に合っているのかが分かってきたのだと思います。うまくいかなかった経験を経ずに、今の距離感にたどり着くことはできなかったはずです。当時の私は「うまくいかなかった」という結果だけを見ていて、その裏にある学びには目が向いていませんでした。

数ヶ月という時間の中で、私自身のやり方は少しずつ変わっていきました。ただ、その変化は導入した瞬間に起きたものではなく、非効率に見えた日々や、失敗だと思っていた出来事の積み重ねの上に、少しずつ形作られていったものだったのだと、今になって気づいています。